2010年01月28日

母の誕生日に思う。

今日は母の誕生日で、色々思うことがある。

母は私を20歳の時に生みました。

最近でいう若い女性の「出来ちゃった婚」でヤンママの走りなのでしょうか。

20歳と言えばまだ遊びたい盛りでもあったと思います。

私の同級生の女性でさえ働いたり、又は学校に進学してそれぞれに謳歌している人も多い中、父と知り合って私を生みました。

恥ずかしながら父は20年ほど前(平成2年)に他界しましたが、結構いい加減な父で母も苦労したようです。

その反面教師のせいか私は結構堅く育ったようで今では結構緩く生きていますが30過ぎくらいまでは堅物のような気がしました。

あるとき、父が他界して13年程経った7年くらい前に母が相談があると言うことで会って出た話が、「いい人が出来た。一緒になっていいかな?寂しいモン。」という話しでした。

しかし不思議と私はあっさり承諾して「いいんじゃない、親父が死んで10年以上経、50代半ばだし体力・気力があるうちに第二の人生行くのもいいよ。」と言いました。

そのとき母はわたしがこう言うと思っていたのか母はすぐニッコリとして「ありがと!」と言ったのを覚えています。

そしてスナックのママをしていましたが(夫婦でやっていたのですが父の死後私がカラオケスナックという形態が好きではなかったので、継がなかったので母がやっていた。)、廃業して内縁という形ですが「事実婚」という形でその「いい人」の下へ行ったのです。

普通なら「いい年して」などと怒る子供の方がむしろ多いかも知れません、しかし上に書いたとおりまだ遊びたい盛りに私を生んで育ててきた母に余り息子としてやってあげられない自分が唯一、母のそういう決心と思いを受け入れて送り出すのがせめてもの恩返しの一つと思ったからです。

そう母はまだ生きている生身の女性と見てあげることが親孝行かなと思ったのです。

私も20歳の頃から一人暮らしを始めて、もう22年経ちますがそのときに本当に子離れ、親離れになったのかも知れませんね。

むしろ再婚後の方が1ヶ月に一回は様子を見る為の電話をして話しをしています。

22歳しか離れていない親子なので、親子げんかと言うよりも兄弟げんかのような親子げんかをしていた親子でした。

授業参観の時も周りの同級生の母親よりも若いので、最初お姉さんが来たと担任に勘違いされたこともありました。

色々心配も迷惑もかけました、そういうことも思い出したからか2年前の父の命日に今住む横浜から名古屋に帰った時に食事をしながら「自分が生まれたばかりに一番遊びたい時に、子育てさせる羽目になって何か悪かったな・・・。」と言いました。すると母は「何言ってるの、バカだねぇ。それはそれで楽しかったよ。それよりもあんあたに親として何もしてあげられなくてごめんね。あんたの同級生はそれなりに親に上の学校に行かせて貰ったりしていい思いしたんだろうに死んだあれ(父)が遊び人だったから・・・。」「いいんだよ、生んでくれただけで・・・。」と言うことが出来た。

これまで約40年まともに向き合って目を見て話さなかった母と初めて、向き合って目を見て話してここで生まれて初めて「親子」になれた気がした。

今では帰郷した時は母の相手の方と3人で食事をして話しています。

職人で、物腰の柔らかい死んだ父とは正反対。(笑)の方です。

そして今日も母に誕生日のお祝いの電話とささやかながらプレゼントを贈りました。
posted by muenzaka at 22:40 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 心情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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